概念と境界。。。虚像と実像。。。ハーフミラーニューロン。。。
「私」と「境界」と「宗教」について。。。 (補遺)。。。
やはり、少し分かりにくかったのかもしれないので、概念と境界について少し。。。 このことは、 ミラーニューロンの概念は、正確にはハーフミラーでは?。。。 と関連するのだが、知的認識、感覚的認識可能な境界は、半透明なハーフミラーのようなもので、そこに投影されたものは、概念として言語化・記号化可能であり、(知的・幻想的にでも)共有可能なものである。 素朴実在論的には、実在を概念というフィルター(ハーフミラー)を介して認識するだろうし、私という認識主体の「このわたし」を無限小に認識するときも、概念というフィルター(ハーフミラー)に無限に投影しつづけることと等価であろう。。。 ※クリックすると、拡大します。 ※クリックすると、拡大します。 認識主体の投影は、正確には、ミラーニューロンの概念は、正確にはハーフミラーでは?。。。での表記が正しいだろう。知的境界・認識限界といった枠組みをも含めて認識主体なのだから。。。 ※実を言えば、上述のようなことは、「アフォーダンスと唯脳論」(旧サイト)での記述と同等である。 http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/4597/afordance-1.htm
by kisugi_jinen
| 2010-06-26 05:18
| 思考。。。
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Comments(10)
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sheepsato
at 2011-09-10 06:19
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こんにちは。お久しぶりです。
ここでの上の方の図において、2つの目安が当てはまるかもと思いました。 自分の視線が内を向いてるか、外を向いてるか。内ー外の軸 また、内にであろうが外にであろうが、結果実像を生み出すのなら能動的、 結果的に虚像を生み出すのなら、受動的、としていました。 これだと、内ー外、というペアと、能動ー受動、というペアの、2つのペアの組み合わせで 2×2=4通りの図が現れてる、と、解釈したんですが。 また上と下の図は、ハーフミラーの2つを表現したものなんでしょうか? それなら何となくここには、客観ー主観のペアが当てはまりそうな予想もします。 といってもハーフミラーというのがいまいちわかってないのであてずっぽうですが。 主観の生体験的な視点と、客観の超越的な視点の2つを組み合わせたものが ハーフミラーなんでしょうか?・・・
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kisugi_jinen at 2011-09-15 03:30
お久しぶりです。
ちょっとばかり忙しい時期なので、詳しいことは来月中旬以降に追記するか、コメントするかになると思います。 とりあえず、ハーフミラーですが、普通のガラス窓(たとえば電車の窓、車窓)を想像していただいて結構です。 車窓から外を眺めていると、ときどき自分の姿も映っていることに気がつきます。窓の外と内とを同時に映すというのが、ハーフミラーです
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kisugi_jinen at 2011-10-22 03:43
長いので、分割します(場合によっては、後程、新たな投稿として再掲します)
私の提示している図に、能動・受動のペアや客観・主観のペアを見て取られるのもいいと思います。ただ、ここで述べていることは、「私・認識主体」と「外部・認識対象」といったものを「認識」するときには、「何らかの知的なレベルでの(言葉にならないとしても記号化可能な)概念」というレベルで扱っているだろうということです。 「私」と「外部」とを同一レベルで扱おうとするとき、自ずから両者の間に「境界(概念)」が生じるので、そこにハーフミラーをおいてみるということです。「外部」が真に存在して「私」の内部での認識は「虚像」である。ということと、「私」の存在は確かであり、「外部」は「私」の想像に過ぎない(虚像)(=独我論)ということの両方の立場を説明しうるモデルになっていると思います。
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kisugi_jinen at 2011-10-22 03:43
同様に「私(1)」が存在するとして、その「私(1)が存在する」という認識を行っている「私(2)」の方が実像であって、「私(1)」は「私(2)」の想像(虚像)にしか過ぎないという考え方と、そのように思考している「私(2)」は実像ではなく、実のところ、「私(1)」こそが実像で、「私(2)」の思索は「私(1)」の夢のようなもの(虚像)であるといった考え方の両方を扱いうるものだということです。
このような考え方が、さまざまな形をとる宗教概念の形成と密接に結びついているのだと思っています。
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sheepsato
at 2011-11-06 02:13
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sheepsato
at 2011-11-06 02:34
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あれ、いえ違いますね?もしかして逆かも。
上がハーフミラー(概念というガラス)で、下の図がミラーとしての機能の図、でしょうか・・
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sheepsato
at 2011-11-07 15:37
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返事を頂いてありがとうございました。
何らかの知的なレベルでの(言葉にならないとしても記号化可能な)概念」というレベルで扱っているだろうということです。」 これは僕も全く同感です。その後の戴いたお返事の内容もよくわかります。 同じようなことを考えている人がいて嬉しいなと感じました。 僕はこれを主観のメカニズムと呼んでます。 ですが、こちらのブログのお考えと、僕自身の考えを照合して、なかなかマッチしません。 考えては見たんですが、正直むちゃくちゃ難しい・・どちらがミラーでどちらがハーフミラーかも混同してるようでは・・ まだ時期尚早かもと・・ 相互の性格の違いに対応して多少違っているみたいで・・・表現の形式の相違を超えるのが難しいと感じてます。 最初の投稿で書いた分析できた部分は、全体のごく一部に過ぎず、 こちらのブログの内容を参考にしようと思ったんですが、そういう応用と言うか翻訳と言うか 自分の考えに活かすことが力不足で難しい現状です。
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sheepsato
at 2011-11-07 15:38
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続きです
一言で言ってもっと考えが進まないと、同じ対象を違う切り口で分析されてるこちらの ブログ内容に取り付く島がまだ無いなーと、残念ながら。 ある種のマッチングと言うか、論理的整合性のようなものですが。 今は地道に進めるしかないのですが、 うまく話が進んでくれれば、それに伴いお聞きしたいことが生まれて書きこませていただくかもしれません。 でも参考にさせていただいてます、ありがとうございます。
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kisugi_jinen at 2011-11-07 22:55
sheepsato様
このような稚拙なブログが、ご参考になるようであれば幸いです。 立ち位置が異なれば、どうしても異なる部分が出てくるもので、だからこそ、個性があるとも言えるのでしょうね。。。 通常であれば、ハーフミラーとしてのガラス越しの風景とガラスに反射した風景を見分けることは、たやすいことでしょうが、人間の認識のフィルター部分に埋め込まれたハーフミラーについては、どちらがどっちとは分からないようになっているのかもしれませんね。。。いや、ハーフミラーだと認識できない程度のものかもしれません。
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kisugi_jinen at 2011-11-07 23:04
中学生の頃、仏壇に供える花が向こう側を向いておらずに、手を合わせる人々の側を向いていることに、異常な違和感を持ったことがありました。お供えをするのだから、ご先祖様に見ていただく方向へ向けるべきでは?と。。。やはり生きている人々のために花を供えるのか?と思っていたものです。しかしながら、そうではなく、花に面することで、生きている人々の心が花の向こう側(ご先祖様等)へと向かい易くなるのだと、今は思っています。そういった意味で、供物は、一種のハーフミラーなのだと思っています。
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