AX
真夏のオリオン・風の谷のナウシカ・終戦のローレライ。。。
終戦のローレライ。。。

「終戦のローレライ」(文庫版)を読んだ後、気になったので福井晴敏氏が関与している「真夏のオリオン」をレンタルDVDで見た。池上司:『雷撃深度一九・五』(文春文庫刊)の原作を映画化するに辺り、一片の楽譜を織り込んだとのこと。

もともと潜水艦系のお話は子供の頃から好きだったので、別段「ローレライ」(映画版)を見た後、そのうち見るつもりだったのだが、無性に見てみたいと思ったのは福井氏の「戦争観」に興味を抱いたからである。

「終戦のローレライ」(原作)に対する「ローレライ」(映画版)よりも、「終戦のローレライ」(原作)に対する「真夏のオリオン」(映画)の方が、「風の谷のナウシカ」の原作に対する映画版に近い関係にある。

戦争という状況下にて敵対する者同士が殺し合うことは当然であり、その「当然の帰結」を「当然」のごとくに扱う物語や映画は数多くある。
しかしながら、常に争い続けるというわけにもいかない。。。いつかは終戦という時が来る。その時を中心にして前後を考えたとき、そうして「戦後の視点」から考えるとき、その「当然さ」という状況が「異常さ」という概念へとすり替わる時間的余韻の長短。。。

全体という概念が変化する狭間で揺れ動く、個・己が抱く概念が変化する余韻。。。

それは、「開戦」という全体の変化に対する個・己が抱く概念との差異が「当然・異常」という価値判断を形成していく過程とまさに相同であり、戦後の視点から「当然さ」に対する「人が人を殺すという」違和感を極力排除しつつ、同じメッセージを伝えようとするならば、「終戦」という時期にスポットを当てて記述する方が、より理にかなっているとも言える。

福井氏の一連の創作は、まさにその点を突いていると思える。

潜水艦という乗り物は、集団行動する人々を乗せた一つの生命体として扱うには、格好の状況を提供するであろう。乗組員相互の信頼関係・依存関係。。。運命共同体としての全体と個との関係。。。そうして、一つの軍隊・国としての全体と運命共同体としての艦艇との関係。。。そういった背景と、それぞれにとっての「終戦」という時間的余韻を有する境界概念との輻湊。。。

「終戦のローレライ」文庫版・第四巻、講談社文庫、p.364-5から引用。
復興に名を借りた欲望の暴走。誰も彼もが我欲を追う獣に成り果てて、百年もすれば日本という国の名前を忘れた肉の塊になる --- 貴様はそう言った。(中略)地獄の深淵を覗いた目には、人という無定見な存在の本質が見えているのだろう。だがそうして高みから見下ろすばかりで、貴様はその本質に触れようとしなかった。すべて理屈で割り切って、理屈を超えたところにある人の本当の力を信じようとしなかった。(中略)我々はそれを知っている。無定見であるがゆえに、無限の可能性を秘めた人の未来を信じられる。これからも血は流れるだろう。同じ過ちが幾度もくり返されるだろう。だが我々は何度でも立ち上がる。血反吐を吐き、苦しみ悶えながら何度でも立ち上がる。(後略)


戦後という概念を知っている視点から、戦時中の潜水艦乗組員の視点を介して思索させる下りであるが、上記記述は後半のクライマックスにて端的にまとめられた福井氏の思いの丈でもあろう。そうして、上記文に非常に酷似する内容を、「風の谷のナウシカ」(原作)の第七巻の文中に見ることができる。

「風の谷のナウシカ」第7巻、ANIMAGE COMICS ワイド版、宮崎 駿、徳間書店、p.121-122、p.132およびp,198から引用。
(墓所の主、ないし墓所のしもべ・ヒドラの一人からの言葉)
弟は 若い頃本物の 慈悲深い名君だったよ
土民の平安を 心から願っていた
だがそれも 最初の二十年さ
やがて いつまでも愚かな 土民を憎む ようになった
そなた達人間は あきることなく 同じ道を 歩み続ける

(中略・上記に対するナウシカの返答)
目的のある生態系・・・ その存在そのものが 生命の本来に そぐいません
私達の生命は 風や音のようなもの・・・
生まれ
 ひびきあい
  消えていく
(中略)
私達は 血を吐きつつ
くり返し くり返し
その朝を こえて とぶ鳥だ!!

生きることは 変わることだ
王蟲も粘菌も 草木も人間も
変わっていくことだろう
腐海も共に 生きるだろう

「終戦のローレライ」(原作)も、「風の谷のナウシカ」(原作)同様、生命の本質を浮かび上がらせるため(であろう)が、多くの残酷な死の場面の描出を余儀なくしている。それは、思春期を超えようとして悩み続ける時期以降に読み解かれるべきものであろう。端的に言って、これらは私的な基準に照らし合わせるならば「PG13」指定して然るべきものだと思う。

しかしながら、残酷な死を直接的に扱うことなく、全体と個という概念を扱いつつ、戦争の本質と終戦という概念を深く考察させるための手段。。。「終戦のローレライ」と同様の題材を扱いつつ、SF的な要素を排除し、残酷な死の場面を場外へ押しやり、物事の本質を思索させる手法を福井氏は見つけ出したのかも知れない。

「真夏のオリオン」は「戦闘による死の直接表現」を極力排除しつつ、一枚の楽譜を主旋律とすることで、戦争に対する様々な思い入れ・余韻を見事なまでに調律・同期させることに成功したとも言える。そのためか、小学校の3・4年生以上を対象とした絵本バージョンも発刊されているようだ。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2154250
どの程度、主旋律を織り込むことに成功しているのだろうか?
後日、入手後に感想を書き込む予定である。

追加2010/6/7 2:24
PG13にて「もののけ姫」が引っかかってきた。。。当然であろう。。。
その辺りは乳幼児注ないし禁の宮崎映画。。。にも書いている。関連する思想的・思索的な背景については、本ブログ内にも断片的に記述しているが、的確なのは、
―「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」へ― 宮崎駿とスタジオジブリの13年 文責/叶 精二
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/ghibli13nen.html
での記述であろう。
。。。と、上記引用は一連の「宮崎 駿」論の一部であるようだ。。。
さらに「もののけ姫」を読み解く ―「曇りなき眼」で何を見定めるべきか― 文責/叶 精二
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/sarani_yomitoku.html
「もののけ姫現象」を読み解く 文責/叶 精二
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/gen_yomitoku.html
などなど、興味深い記述が多い。。。

[PR]
by kisugi_jinen | 2010-06-07 00:29 | つれづれ。。。 | Comments(0)
<< 方位磁石を地球の中心に持ってい... 情の本質を捉えていた人々と本。... >>



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29)
●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。
リンク
ゲストブック
---全体的なコメント等は、こちらへどうぞ。。。
来生自然のホームページ
---私の知の思想史。。。
鉄鼠
---「考える」ということに向き合う。。。
Genxx.blog
移転後http://blog.genxx.com/
---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。
研幾堂
---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。
記事ランキング
最新のコメント
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 01:29
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 03:51
kisugi_jinen..
by Kandomonmasa at 14:28
> SumioBabaさ..
by kisugi_jinen at 10:41
「神」を完全に解明しまし..
by SumioBaba at 05:06
最新のトラックバック
venuspoor.com
from venuspoor.com
venushack.com
from venushack.com
whilelimitle..
from whilelimitless..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧