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終戦のローレライ。。。
映画であろうと、書物であろうと、潜水艦モノは子供の頃から好きだったのだが、忙しさもあって、前から見たい見たいと思っていた映画のDVDを、ついこの間レンタルして見ることができた。。。

福井晴敏:「ローレライ」。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ローレライ (映画)
原作は「終戦のローレライ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/終戦のローレライ

レンタルDVDを見た後、図らずも「風の谷のナウシカ」同様、「映画」→「原作」へといった順に、原作(文庫本版)を古書として4巻手に入れ、斜め読みに読破せざるを得なかった。
というのも、「風の谷のナウシカ」でもそうであったが、作者の意図を歪ませるだけの「何か引っかかるモノ」が映画の背景に見て取れたからである。

なぜに「第3の原爆」が「ローレライシステム」の奪取の有無に関わらず「帝都」に落とされようとしなければならなかったのかなどなど。。。

映画版では、「ローレライシステム」を中心に完結にまとめざるを得なかったためか、原作全体に律動していた著者の想いは、どこか突拍子もなく表現されるにとどまっていた。
いや、原作そのものも、「第二次世界大戦末期での【もしも・・・だったら】(=現在から過去を振り返ったときに思うこと)・潜水艦を扱う・女性を絡ませる」といった想定(制約)にて紡がれたとのことであるため、半ば強引な設定も見受けられるが、主旋律たる著者の想いは原作の中にて貫き通されていた。

それは、たとえば「個人をまっとうするための生がある一方で、他者との関係の中から紡がれる生もある。独りでは、生きることも死ぬこともできない」(文庫版、IV、p.133)といった言葉などにちりばめられている。。。

著者の想いを、それぞれの登場人物の立場から吐露させるため、軍規から独立した自由意志での裁量の可能性という設定を行うべく、物語の流れは構成されている。隠密行動を主とする潜水艦、しかも、正規の登録をされないままに出航させられる状況。。。そういった設定は、敵と味方との狭間でのやり取り(この辺りは、トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」の設定に通じるものがある)や、女性を潜り込ませることを可能とし、主人公の一人でもある折笠の言動を許すだけの空間を作り出している。

私が、今、このDVDを見、この本を読む機会を得たのは、複数の意味にて、まさにそうあるべき時だったのかも知れないとも思っている。

一つには、余命幾何もない私の父の戦争体験と、それにまつわる繰り言の多くの意味するところ、そうして、父が生きてきたであろう風景を垣間見たように思えたこと。
一つには、鳩山内閣の沖縄米軍基地に対する対処と、それにともなう様々な出来事、およびさまざまな立場の様々な思いの交錯が、まさに(架空の、いや未登録の)潜水艦である「伊507」を挟んだ複数の視点に相当していること。
一つには、本ブログのテーマである「知と情」とが、主旋律として織り込まれていること。

父の話は、機会があれば記述するかもしれないが、今回は見合わせ、現行の政治との関係、そうしてブログテーマである「知・情」との関連を中心にメモしておく。

現行の政治家の言動が「終戦のローレライ」での軍参謀本部の思考に重ね合わせられるとすれば、たとえば、「終戦のローレライ」で記述されているアメリカの視点は、現行の北朝鮮の視点に重ね合わせられる。

政治家はトップダウンでの裁定を下さざるを得ない立場にある故に、一度決定された路線を踏襲せざるを得ない状況でボトムアップ的な要請との整合性をとり続けようとするならば、どこかで中間層を介在して緩衝材とせざるを得ないだろう。自民党の歴代党首(首相)が(いつかはばれるであろう)密約をかわしてきたのもそういった「政治」固有の情勢に左右されたのであろうし、そういった中間層が想定されないまま、自身の理想を貫き通そうとして手順を誤り、自滅しつつある鳩山内閣は、「終戦のローレライ」の浅倉 良橘にも重なるところがある。

「終戦のローレライ」の基調が、本ブログの主たるテーマである「知と情」にあることを知ったのは大きな収穫だった。そうして、それが、戦時中の日本の基調であった(物質・肉体に対する)「精神」という概念と異質なものとして(明確に)記述しつくそうとしているところが救いでもあった。

そういった概念を記述し尽くそうとして筆に余るがゆえ、後段の蛇足とも言われている後日談的な記述が必要不可欠になったのであろう。

「ローレライシステム」は、まさに第二次世界大戦時の日本の(知的に扱いうる)「精神」至上主義の極値として仮想的に稼働可能なシステムとして組み上げられたともいえる。物語の前半は、そういった「精神」至上主義と現実との狭間が織り込まれている。そうして、「精神」の具現化とともに(知のみでは如何ともしがたい)「情」の繋がりが物語の中ほどから輻湊して「情」を中心とした「想い」へと結実し、さらに終章では「情」のみでは如何ともしがたい状況が立ちはだかっている事実へと、読者の視点を誘っている。

戦争・紛争は、まさに「知が情を凌駕しうる」という仮想・幻想から始まり、大量虐殺や、民族粛正が、そういった延長線にて「知的に」処理されうるが故に可能だということが、物語のアメリカと、現行の北朝鮮とに重ね合わされうるだろう。。。

ワンテンポ以上遅れているが、今度の休日には「真夏のオリオン」を見てみたいものである。。。
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by kisugi_jinen | 2010-06-01 03:53 | つれづれ。。。 | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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