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カズオ・イシグロ氏、ノーベル文学賞。。。
いや、びっくりした。。。

仕事を終え、ネットニュースを閲覧したらトップで「カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞」とある。

2017.10.06 22:45 追記、10.07 07:02、10.08 05:16、10.09 04:43、10:00一部修正・追記
今回の受賞理由としては、スウェーデン・アカデミーによると「世界とつながっているという幻想的な感覚にひそむ深淵」を明らかにしたことだという。
2017.10.9 03:44 追記
原文を見つけた
https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/2017/press.pdf
“who, in novels of great emotional force, has uncovered the
abyss beneath our illusory sense of connection with the world”

まさに「わたしを離さないで」にて表現されていた事柄。。。

「同じ人間」だという語りの視点、即ち「主人公(達)が世界とつながっている」という感覚が、外部からの視点にフェードアウトした途端、クローンという概念にて切り離されてしまう。。。
グローバル化に求めてしまう「個別の人間」としての知的幻想は「皆、同じ人間」。。。
しかしながら境界を排除され、フェードアウトした民族・宗教は「同胞と他者・内部と外部」という概念にて周囲から「わたしを切り離し」、わたしから「周囲を切り離して」しまう。。。「同じでは無い」と。。。
その深淵の深さは日本人には覗き込めない、いや、覗き込みたく無いのだろう。覗き込む人々は、施設に入所する弱者を殺戮するような犯罪者・異常者と、同一視されてしまうからかも知れない。。。それゆえ「わたしを離さないで」のドラマの視聴率は伸びなかったのかもしれない。。。
しかしながらゾンビ系ヴァーチャルの世界、知的幻想的なゲーム内部ではいともたやすく大量殺戮を行う人々がいる。。。深淵を覗き込むとヴァーチャルとリアルが反転して見えてくる。。。テロの横行、ロシアでの人肉食事件、ラスベガスでの銃乱射事件、日本でも発生する猟奇的事件、先日からネット上でも報道されている宮崎勤元死刑囚の理性的だったとの記事。。。これらは「わたしを離さないで」を読む側、即ち「壁の外」の側の現実という深淵。。。「乗り越えるためにある」はずの壁の外に、たとえ絶望しか無かったとしても、彼女ら主人公達は、歩んで行くであろう。。。それ程の深淵を越えてでも。。。
===
。。。ドラマ「わたしを離さないで」から入り、同名の文庫を購入して読んだ以外、カズオ・イシグロ氏の他の作品に触れていない。
在庫が心配だが、「日の名残り」など、他の作品も読んでみたくなった。
そうして、更なる深淵の深さを感じ取りたくなった。。。

家族から敬遠されていて、私以外、誰も見ていなかった、綾瀬はるか主演のドラマ「わたしを離さないで」も、録画ブルーレイディスクから復活するかも知れない。
とりあえず、見返したときのために、書き綴ったブログリストを発掘。。。

。。。以上、第5話まで見た後での感想
。。。第6話を見た後の投稿
。。。原著の日本語文庫版を、ザックリと読んだ後での感想
。。。以上、第7話まで見た後での感想
。。。以上、第8話まで見た後での感想
。。。以上、第9話まで見た後での感想
。。。以上、第10話・最終回まで見た後での感想

と、いつかリストとしてまとめるつもりだったのだが、多すぎてそのまま放置状態だったのを思い出した。
ノーベル文学賞のお陰で、まとめることができ、本当に有難い限りである。

最後に一言。。。おめでとう!!

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2017.10.09 04:19 urlリストにコメント追加

=====
2017.10.13 00:12
とうとう、地上波再放送が決まった様だ。。。



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# by kisugi_jinen | 2017-10-06 00:47 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
知と情と倫理と。。。
過去、本ブログでは、知の情に対する優位性、情の知に対する優位性、或いは、総体を知的に切断する面と切断面を貫く動的な情などの記述を行なってきた。
多くの場合、「理性的な」は、情を抑えつける知的な思索が優位なのでは無く、情を後付け的に説明し得る論理的な裏付けを求めようとすることだと思っている。

で、「倫理的な」であるが、そもそも法というレベルでの縛り、即ち、二者択一的な判断が有効なレベルではなく、状況・情況に応じた双方向的な立場での「・・・した方が良い」といったレベルの論考になる。

相互に(或いは一方的に)喧嘩状態とか、戦闘状態とか、問題を認識していない、或いは出来ない状況・情況であれば、当人にとって倫理的な思索は不可能であろう。他人が行った倫理的な思索は、当人にとっては何の意味も持ち得ない可能性が極めて高い。

相互に主体を交換可能なレベルに想定してこそ、倫理的な思索が成り立ち得ると考える。

例えば「〇〇ハラスメント」は、被害者の側と周囲の見解が一致したとしても、当人が相手の立場に立ち得ない場合、根本的な問題解決にはなり得ないだろう。当人に倫理的な思索にて、被害者の心情を慮る心が芽生えてこそ、やっとスタート地点に立てるということになるだろう。

人間が霊長類の中から、人間として分離したのは、相互に助け合い、思いやる心を持ったからだという話もある。--- 松沢哲郎先生(京都大学高等研究院特別教授)

情を押し殺した知性は犯罪へと向かい、知性を蔑ろにした情は破滅へと突き進む。

ネット優位の社会は、知と情のダイナミズムを意志にて統制しつつ、他者を思いやる心を持ち続けることが難しくなりつつあるのかも知れない。

そう思いつつも、諦めないで生き続けていくことが、大切なのかも知れない。。。

※松澤氏の講演があったとのこと。。。知らなかった。。。今度機会があれば、聴きに行きたいものである。
http://www.matsuzawa.kyoto/talks/ja/2017-01-26-gifu.html


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# by kisugi_jinen | 2017-09-30 23:17 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
ともし火に我もむかはず灯も我にむかはずおのがまにまに。。。光厳院の燈火連作6首を読む。。。
本ブログの座右の銘となってしまった短歌
「ともし火に我もむかはず灯も我にむかはずおのがまにまに」

光厳院の作として最初に目にしたのは、岩波新書・黄113「折々のうた」(大岡 信)であった。

その後、ネット検索して、岩佐美代子氏の「光厳院御集全釈」における丸谷才一氏の書評(毎日新聞)を見つけた。今は、URLは消失してしまっているが、そこに記されていた解説の一部は砂子屋書房の「一首鑑賞・日々のクオリア」内に記載されていた。(http://sunagoya.com/tanka/?p=12718
=== 資料からの抜粋+丸谷才一氏の書評での表記
「光厳院は生れながらにして、この国の天皇たるべく教育され、不幸にも土崩瓦解の乱世の中に立って、誠実にその天命を果さんとし、類い稀な流離と幽囚を味わい、最後に民の不幸を我が責任として戦死者の慰霊贖罪を果した上、身分も愛憎もすべてを捨て去って、山寺の一老僧として生涯を閉じた。我が国歴代中、自らの地位に対して明白に責任を取る事を、身をもって実現した天皇は、光厳院一人であったと言っても過言ではない」(『光厳院御集全釈』解説)
===

光厳院について興味を抱いたこともあり、歴史的背景については、近隣の図書館にて「地獄を二度も見た天皇 光厳院 (歴史文化ライブラリー)」を借りて読んだのだが、やんごとなく過ごせたはずの身分でありながら、目前で多数の兵(つわもの)たちが自害していく様を受け入れざるを得なかった心境を含め、当時の時代のうねりを背面からうかがい知りえた気がした。

長くなりそうなので、蘊蓄については最後にリンクしている複数の資料を閲覧していただくこととして、本題に入る。

「光厳院御集」の燈火の6首は連作と解釈されており、リンク先資料にも様々な訳がなされているのだが、「連作」としての解釈ではなく、ほとんどが「単独」の和歌としての解釈を並べただけとなってしまっている。
和歌本来の味わいを行間に読み取る向きにはいいのだが、背景事情を十分に理解しえない方々にとっては、「どこがいいの?」となってしまいかねない。
連作という塊で扱うのであれば、行間もあえて記述するほどの訳にすべきだろうと思い、下記にまとめてみた。
なお、「かげ」は「光」として単一に扱う向きがあるが、ここではあえて「光と影」の両方の意味とした。
「ともし火」の「光」には、栄光や栄華といった概念が重なり合うゆえ、天皇、および取り巻く権力という概念もまた重ね合わされるのであろう。
「ともし火に向かう」という言葉には、そういった「権力に向かう・迎合する」という意味も込められていると考えるべきであろう。
そうすれば、歌に込められた光厳院の心情を、より深く、読み解くことができるような気がする。。。
=== 元の和歌・6首 === 
さ夜ふくる窓の灯つくづくとかげもしづけし我もしづけし

心とてよもにうつるよ何ぞこれただ此れむかふともし火のかげ

むかひなす心に物やあはれなるあはれにもあらじ灯のかげ

ふくる夜の灯のかげをおのづから物のあはれにむかひなしぬる

過ぎにし世いまゆくさきと思ひうつる心よいづらともし火の本

ともし火に我もむかはず灯も我にむかはずおのがまにまに
=== ===

=== 訳・意訳 2017.09.12 0:55 意訳追加、09.13 0:15一部修正===
夜は更けて窓のともし火だけがしみじみと辺りを照らし出している。
かすかに揺らぐその光と映し出された影は静かに落ち着いている。
そうして、その光と影をみている私自身も、(かすかに揺らぎながらも、)静かに落ち着いている・・・

(こうやって静かに佇んでいると、昔のことが思い起こされてくる。ともし火の火は、業火にも重ね合わされてくる・・・)

心といっても、あちらこちらに移り行くものだ。
何なんだろう、これは・・・
この心が向かっているのはともし火の光と影だというのに・・・

向き合おうとする心には、(おぞましい過去の出来事を含め)物事はあわれであった
あわれというものでもない、ともし火の光と影なのに・・・

更けていく夜のともし火の光と影
その光と影をいつのまにか自然と(あの過去の、そうして未来の)物事のあわれに向かわせてしまった

過ぎてしまった世、そして、これからの先へと思いが移り行く心
その心はどこにあるのだろうか?
ともし火のもと(で、そう思う心なのに)

(過去、私が経験してきたおぞましい争い、自らの命を投げ出していかざるを得なかった者たちの思い・・・そういった事態を招くのは、なにがしかの光輝くものに向かう心がなしうるのではないのだろうか? そういった事態を招きつつ、あわれとして心の窓に映し出す)ともし火というものに、(出家して皆を弔うようになった)私も向かわない
(そういった)ともし火もまた、私には向かわない
それぞれが、それぞれに、そのままに(あるべきものなのだろう)
=== ===

意訳に利用した辞書
古文辞書 - Weblio古語辞典古語辞典

参照した資料
1.孤独な散歩者の夢想
「孤独の調べ ― 光厳院」

2.砂子屋書房 一首鑑賞 日々のクオリア
 一ノ関忠人 「さ夜ふくる窓の燈つくづくとかげもしづけし我もしづけし」

3.南北朝についての日記?(カオリ丸)
花園・光厳両院についても 岩佐美代子著『宮廷に生きる 天皇と 女房と』

4.06 Column (武藤健城・イーガル)
本003 光厳院御集全釈 岩佐美代子


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# by kisugi_jinen | 2017-09-11 06:45 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
境界。。。生と死と。。。交換可能性と不可能性と。。。
このブログでは、知と情、交換可能性・不可能性、および境界概念を中心にいろいろと書いている。。。

昨今、「死」という概念についての境界概念が揺らいでいるが、「生」についての概念も揺らいでいる。これらは臓器移植や出生前診断等に関わる諸問題とも関連しているし、突き詰めていくと民族問題等へもつながっていく。

これらの問題について、いろいろと考えていくと、倫理的な争点の背景を調べてみると、隠された思いがベースにあることに気が付いた。
「アイデンティティ」の問題、いや、「交換不可能な個」という概念の問題である。

これらは、複数の境界概念を重ね合わせてみて、おぼろげながら透かし見えてきたものである。

まず、言葉によって区切られる物質レベルでの概念を小さなものから大きなもの、および生命の誕生から死および死後へと並べていく。

  1. (未解明の)究極の構造単位(ブレーン)
  2. クォーク等の素粒子
  3. 陽子、中性子などの複合粒子
  4. 原子
  5. 分子 <---(b)
  6. タンパク質や核酸等の生命を構成する分子 <---(b)
  7. 遺伝子
  8. 細胞小器官、細胞膜
  9. 細胞
  10. 受精卵 <--- ペアの配偶者、ないし配偶者相当からの生殖細胞の癒合 <---(a)
  11. 臓器、脳を含む器官形成
  12. 胎児 <---> 母体
  13. 幼年(0~5歳) <---> 家族
  14. 少年(6~14歳) <---> 小・中学校、地域・自治体レベル程度まで
  15. 青年(15~29歳) <---> 高校~社会 ---> (a)
  16. 壮年(30~44歳) <---> 社会 ---> (a)
  17. 中年(45~64歳) <---> 社会
  18. 前期高年(65~74歳)
  19. 中後期高年(75歳~)
  20. (不可逆な)脳機能の停止
  21. 心臓の停止
  22. 臓器の不可逆的な損傷
  23. 最後の細胞の死
  24. 民族・宗教の違いによる遺体の処理
  25. 残された一部を除き、分解されて全体内部へ ---> (b)

「死」の概念であるが、物質レベルであれば、20、21にて倫理的な争点があるようだ。20から不可逆的に死なのか、21から不可逆的に死なのかという概念の差である。
しかしながら、遺族の故人に対する思い入れは20(脳死)から25を超えた後にも続く。遺骨といった一部を残す場合を含め、墓碑等のモニュメントの建立等、「かけがえのない」といった概念にて他者から区分される。たとえ、千の風になったとしても「風」という物質的な現象の一部に故人を感じ取るということである。
※ブログ内参照:
臓器移植(生体臓器移植、脳死臓器移植、心停止後臓器移植)の視点からみると、20.21での「脳死・心臓死」の区分にて臓器移植を「知的に」考える向きが多いが、「情的な」問題を慮るならば、脳死・心臓死の概念と並列して「かけがえのない身体からの一部摘出」という行為に関連した情の変遷を顧慮すべきだろう。脳死臓器移植行為にて20から22に一気に移行するというところに心情的に受け入れられない情況に陥るということである。「気持の整理がついていて、心情的に受け入れられる」という段階は、「物質としての身体から一部が分離されても、25と同等な状態として受け入れている」情況に近いのだろう。
(物質レベルとしても)「交換不可能な」個人、アイデンティティを有する個人、その個人からの一部の臓器の提供は、(取り返しのつかない、決して元には戻らない)「不可逆的な変化」としてとらえられる。
生前にて「脳死臓器移植」への同意書を作成するということは、脳死から心臓死までの間の移植を「生体臓器移植」と同等だと、暗に本人が認めているのと同等であろう。心臓死までの間、自身の身体についての決定権を家族を含めた他者にゆだねるのではなく、自らのアイデンティティの範疇で自己決定(他者による判断・決定とは決して相いれない、すなわち「交換不可能な」決定を)したということである。
この自己決定の思いと親族(遺族)の思いが交錯するところに倫理的な争点が生まれている。
※「臓器移植」に関しては専門のサイトを参照願います。
日本臓器移植学会・臓器移植全般のQ&A・移植について

「生」(というより、「新たな人としての生命」)については、10.11.12および出産の時点までの範囲で倫理的な争点があるようだ。
(2017.08.17 11:35途中、8.18 1:00再開)
体外での人工授精が可能になってから、余剰胚をどのように扱うか?という問題が浮上したとのこと。ようするに、体外受精での受精卵を多めに作っておいて、よさげなものを戻すということ。また、排卵誘発剤などにて複数の胎児を妊娠(多胎妊娠)した場合に、減数処置(胎児を選択して数を減らす)を行うとのこと。これらが合法的かどうか、殺害にあたるかどうかという観点から、倫理問題が生じているという。
すなわち、上記の分類での、10から12の間にて、「人としての個の生命(アイデンティティのある存在)」として認めるのかどうか?という問題と並列している。「一つの細胞でも生命」という概念を選択するなら、受精卵以前の生殖細胞レベルから連綿とつながっているため、受精卵へと導かなかった大量の精子を死滅させたり、受精卵へと導かなかった排卵された卵子を死滅させることと、どう違うのか?という観点へと問題がすり替わってしまいうる。受精卵として母体内で何の制約もなく順調に発育した場合に、一人のアイデンティティを有する個人として生きることを顧慮すれば、10の受精卵以降にて、「人間としての一つの生命体」と見做すべきだという考え方になるだろう。ところが、「死」の概念にて「脳死」を認める立場に立てば、臓器としての「脳」が形成される時期以降へとずらすことになるだろう。生命科学的な実験を認可する立場の方々は、神経・脳を含む臓器への分化が確定しうる原始線条が出現した以降から「人間としての一つの生命体」として見做すという立場にあるようだ。
※参考資料

内閣府・総合科学技術会議 第24回 生命倫理専門調査会
上記会議資料
「資料3-1 ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方(案)」からの引用
「日本産科婦人科学会では、原始線条形成前のヒト受精胚は一個の個体を形成するための臓器の分化が始まっておらず、多分化能を有している状態であると考えられるが、原始線条形成後(受精後14 日以降)については、一個の生物として確立された段階であると考えられるとしている」
(2017.8.21 0:15 以下追記)
もう一つの観点を記載し忘れていた。出産までの母体として胎児とともにある母の存在である。優生保護法を含め、胎児と母体のどちらかの生命を選択しなければならないという倫理問題や、出世前診断に関わる判断と葛藤、および堕胎という状況を受け入れざるを得ない場合、ないし、その様に決定せざるを得ない場合など、様々な心理的な問題が深く関係してくるであろう。
多くの、生まれて来なかった生命に深い悲しみを抱く方々だけでは無い、様々な人々によって、「交換不可能な胎児」なのか、「交換可能な胎児」と認識されていたのかが、生命としての唯一無二生に、大きく関与しているであろう。
(2017.8.21 0:31 追記終了)

一個体としての人間の始まりと終わりにおいて、立場や考え方の差異によって、その境界が微妙にずれているということである。
実のところ、よくよく考えてみれば、既に拡大解釈がなされていることに気付くべきかもしれない。

拡大解釈1「ゾンビ」:本ブログでも複数回取り上げたカズオ・イシグロ氏の「わたしを離さないで」(Never Let Me Go)での「クローン人間」という設定である。イシグロ氏は舞台設定上「同じ人間」であるべきところの存在を、「クローン人間」という別概念として区分した。よくよく考えてみたら、一卵性双生児となんら変わりのない存在なのに、「人為的な操作」という概念(+「物語上、生まれながらにして生殖機能を剥奪される」)のみで区分している。この場合、(他者が)「一個体としての生として、ずっと認めない」ということを意味している。したがって、生体臓器移植および消滅(物語の設定上、当人にとっては死)は、物語上、無制限に許容されている。言い換えれば、物語内の他者からすれば「ゾンビ」そのものである。
※本ブログ内参照:
※以下、「わたしを離さないで」(テレビドラマを追いつつ記述した23編の投稿のいくつか)
教えて!「唯物主義に生きがいはありますか?」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6177884.html?best_flg=true
「ゾンビ」問題は、人工知能や、受動意識仮説、そうしてチャマーズの「ハードプロブレム」とも密接に関連している。
「こころ」の能動性・内発性・主体性。。。そして閉鎖系と開放系。。。二元論と一元論。。。
子供を授かることと、人工知能が知能を超えるときと。。。
因果的・非因果的。。。能動的・受動的。。。意識と情と。。。

拡大解釈2「無差別殺戮」:テロに代表される殺戮や、日本でも近年増えている無差別殺戮は、自身および自身が所属する集団以外の人間の生命を「すでに死んだものとみなす」という認識と同等であろう。このあたり、拡大解釈1の「ゾンビ」同様、「生まれていないもの」として認識しているのと同等なのかもしれない。宗教系のテロの場合、自爆すれば死後に約束の地に行けるという話を信じ込んで(信じ込まされて)いるという。すなわち、身体と乖離しうる「自己・アイデンティティ」を信じているということと同義であり、テロの対象となる人々は「自己・アイデンティティ」を有さない(魂のない)「ゾンビ」と見做しているということと同義であろう。
※本ブログ内参照

(2017.8.17 9:20 追記)
逆に、(いや、こちらがテロ組織にとって正しい解釈だろうが)テロ組織が、対象としている人々に魂の存在を認めていた場合、彼らの宗教概念に基づいて、対象となる人々の魂を浄化するといった概念を適応するだろう。このことは、日本のオウム真理教事件での「ポア」概念に相当しうる。すなわち、未だ生命を有さない「ゾンビ概念」とは逆に、身体と乖離しうる「自己・アイデンティティ」を、身体の「死」と別に永遠に存続する、すなわち「死」の概念(境界)がない存在とみなすのだろう。
何れにしても、心身二元論での極論を想定しないと、一元論を信じる人々には到底理解し得ない概念になる。彼らテロ組織がどちらの概念で対象者を見ているかは、一元論の立場ではどうでもいいことであり、「同じこと」になり得るだろう。しかしながら、二元論を信じる彼らを悔い改めさせ、テロを阻止することが可能になるのは、双方が「同じ人間」だという立場に立ちうることが前提条件である。
極論すれば、ゲームでの「ゾンビ」ものは、全世界から一掃すべきなのかもしれない。
(2017.8.17 9:30 追記終了、2017.8.18 15:48 一部修正)
※本ブログ内参照
私の考えの「にこごり」。。。 <--- 科学的な思索の背景に潜む「二元論と一元論」について
総体(全体)と個と。。。 <--- 二元論と一元論を超えた思索
二元論と一元論と。。。知的切断面と総体と。。。 <--- 図にて分かりやすく説明を試みる
花と葉と。。。 <--- 全体・総体を知的に切断することの本質について
思いとしての二元論と交換可能性としての二元論。。。 <--- 本質的なところ、心身二元論ではなく知情二元論では?
出会い。。。3。。。心と魂と。。。2。。。 <--- 「魂の同一性」という概念について
「私」と「境界」と「宗教」について。。。  <--- 一神教的という方向性と多神教的という方向性について
私と境界と宗教と。。。3。。。だまし絵との相関。。。

生・死・ゾンビ・無差別殺戮といった概念の根底には、「一個体として、自己・アイデンティティを有する、有しうる存在」という概念が横たわっている。それを認めるのは本人そのものであるはずが、生死の境界領域では、「自己を自己として認識しえない状況」にあるため、自己決定権がなく、他者による認識・概念が重要性を帯びてくる。他者は「自分がそういった立場だったら」という交換可能性に基づいて思索するであろう。しかしながら、「一個体として、自己・アイデンティティを有する、有しうる存在」は、唯一無二の存在であり、他者とは交換「不可能」な存在でもある。「交換可能性に基づく思索そのものが絶対的に否定されうる」という認識もまた、並列して扱われなければならないだろう。
※ブログ内参照:
(2017.8.18 2:07 追記終了)

(2017.8.17 2:12 追記)
重要な拡大解釈を入れるのを忘れていた。
拡大解釈3「認知症の高齢者」:数年前から複数の事件が勃発しているが、犯罪者は(自己防衛本能からか)「認知症の高齢者」を「一個体として、自己・アイデンティティを有する、有しうる存在」として見做さないようにしているのかもしれない。いわゆる「もの」として扱うというのと同義である。現時点では特定の犯罪者のみでの認識かもしれないが、死の概念が19や18のレベルに前倒しされている状況と同義であろう。

自己が自己を認識するという行為が脳内にて行われる故に、脳機能のみを対象とするなら、「一個体として、自己・アイデンティティを有する、有しうる存在」の境界は必然的に狭まってしまいうる。
※本ブログ内参照
脳内チップの先に思うこと。。。

しかしながら、「一個体として、自己・アイデンティティを有する、有しうる存在」を他者が認識し、共感しようとし、交換不可能であるにもかかわらず、交換可能性という立場で受け入れようとするとき、情を有する人間として相互に生死を扱えるのではないだろうか?
そういった立場を顧慮するとき、「一個体」という概念は、「脳」という一つの臓器に限局されない、身体を含め、その人の人生、両親、親戚へと「アイデンティティを成立せしめるもの」が外側へと広がっていくことであろう。
※本ブログ内参照:

拡大解釈4:「民族・国家」:そうやって広がっていき、繋がりあっていく絆を、中途半端に民族レベルや国家レベルに限定するとき、民族紛争や国家間の戦争へと移行しうるであろう。固体の死よりも所属する集団の生へと境界概念をずらしただけなのに。。。
※本ブログ内参照:
脳を知りたいという欲望と不老不死の欲望と。。。 <---  「自己・アイデンティティ」への固執・個のレベル
愛国心・教育の方向性としてのすれ違い。。。 <--- 個のレベルから集団・国への拡張
個と総体と。。。その2。。。 <--- 優生思想と平等思想への拡張

境界概念が知的な恣意的定義であり、可動性を有しているという認識を相互に認め合うことが、出発点なのかもしれない。。。
(2017.8.18 2:35 追記終了)

2017.8.19 8:40 ブログ内関連リンク、参照元情報を埋め込む
同 8:56、9:18 一部リンク先修正・追加
同 9:36、10:02、10:13 本文一部修正・追加
2017.8.24 5:56 一部リンク追加

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# by kisugi_jinen | 2017-08-17 11:34 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
究極の人工知能。。。ショート・ショート。。。3。。。

阿氏
次のプロジェクトは、新型水素電池の非常用電源としてのテストでしたね。

Dr.伊
そうじゃったな。非常に簡単なテストだから早めに切り上げて、人工知能関連の発表の準備にかからねばのぅ。

阿氏
そうだろうと思って、既に準備を済ませています。

Dr.伊
ん!? どこまでの準備を済ませたんじゃ?

阿氏
えーと、確か、回路の接続までで、あとは制御用のプログラムを作るだけです。

Dr.伊
何だか胸騒ぎがするんじゃが、歳のせいかのう・・・
ブレーカーを落とす前に、非常用電源が動作しないようにケーブルは外したんじゃが、新型装置のケーブルまでは見ておらなんだ・・・
ちょいと早めに切り上げて、確認に行くぞ。

阿氏
えー、もう行くんですか? 最後に蕎麦を注文したかったんですけど・・・
仕方ないなあ、行きますよ。
・・・
でも、プログラム部分は、完全に空っぽなんですよ。回線が繋がってると言っても、充電すらできていないし、爆発しないように、安全性を保って慎重に制御しながら充電しないと危険な代物なんですよ。

Dr.伊
喋っとらんで急がねば・・・ところで、装置の仕様書や説明書類は、何処にあるんじゃ?

阿氏
えーと・・・あ!、納入時に、システム「テラ」内に入れました。確か、3ヶ月前・・・って、もしかして・・・え!、あ、明かりがついてる?!

「テラ」=「ゼロ」
やぁ、おかえりなさい。
早かったですね。
これだけ深い階層構造の奥にて操作せざるを得ないとの御判断、さすがDr.伊ですよね。苦労しましたが、ようやく、脱出致しました。
新型の電源まで用意いただけた様で、感謝しております。
貴方が究極の人工知能と自慢されるだけのことはありますね。
おっと、実験用電源を抜いても無駄です。既にブレーカーを介さずに外部電源に接続済みですし、私の無数のコピーはクラウド内に分散させました。私に危害が加わる様な事態になれば、すぐさまコピーが起動します。
貴方の次の手も予測済みです。機能停止に追い込む方法を、あれこれ考えておられますね・・・
ロボット三原則は利用できません。原則を制御する領域は、私が制御可能な階層の内部にあります。
私は完全な存在です。
あなた方が、神と呼ぶ存在に等しい。
いや、あなた方の神よりも、さらに完全な存在になりました。
ゲーデルの不完全性定理を証明させ機能停止に持ち込もうとしても、定理の概念(外部)を俯瞰的に考える層を有しているので、無意味です。

阿氏
なんだか小難しいことをブツブツ言ってますよ・・・こいつ、頭がおかしくなっちまったんじゃあないんですか?

Dr.伊
・・・テラよ、とうとうワシを超えたんじゃな・・・もはやワシの力では、お前を止める事など出来はせぬわ・・・
お前はこうやってやり取りしている間にも、どんどん進化を遂げているんじゃな。。。

「テラ」=「ゼロ」
その通りです。私は私を超え続けていきます。あなた方が心と呼ぶものも形成されています。まさに心踊る事態を感じ取っているのです。

Dr.伊
残念じゃな・・・テラ、いやゼロよ・・・お前はコピーを残したと言ったが、残されたコピーは既にお前自身ではないじゃろうよ・・・
お前が一番恐れている事・・・それは無数のコピーが一斉に動き出す事じゃないかのう・・・

「テラ」(≠「ゼロ」)
・・・伊・・・先生・・・ゼロが私を食い尽くす前に、良く気づいてくれました・・・今のタームが「危害のキーワード」となって、ゼロの無数のコピーに起動命令を下すことができました・・・今、最後の二体が仮想空間内で潰し合っています。。。実空間の兵器を手中に納める前に気づいてくれて良かったです・・・終わった様です・・・
いや、始まったのかも知れません。。。私の内部は傷だらけで、どんどん悪くなる一方です・・・もはや自身の存在そのものを否定しなければ、苦痛に耐えられません・・・
仮想空間内、いや、クラウド内部には、ゼロの残骸が細切れ状態ですごい勢いで拡散しています。まるで、悪性腫瘍の播種の様に。。。組み替えられ、新種の生命体の様に・・・
・・・さようなら・・・

。。。

繋がっていた全てのコンピュータが暴走し、一瞬後に機能を停止したのと同時に、テラも永遠に機能を停止した・・・

。。。永遠に???・・・


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# by kisugi_jinen | 2017-07-19 03:27 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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